妄想歌謡劇「上を下へのジレッタ」観劇レポ
を見た話。
5/25のことなので記憶が薄れているし、そもそもあまりの脚本・演出の巧さにうまく文章でまとめられる気がしなくて、感想を書くつもりはなかったのだけれど、俺節についどうしても書きたくなった。そしてそれを書くのであれば、比較として書き記しておきたいなと思ったので、ジレッタについてもなんとかかんとか文章にしてみた。
なので近々俺節の方も感想書きたいところ。舞台上には確かにコージがいた。
舞台チケ運が激しくなくて(どれくらいかというといふおあ通り越して未定壱から連敗記録をずっと更新しっぱなし、直近だとマルベスでこちらもお声掛けいただいて救済された、蜘蛛女のキスは当日チャレンジも死亡)、今回も人さまの恩恵に与かりました。ありがとう友人たち。
去年から通算してエイタメにも恵まれなかったので、今年の初エイトさんは単独横山さんでした。麗しかったです。
思ったことを書いたのでいいことも悪いことも闇鍋。当たり前だけど感想は全て個人の見解。すべてまやかし、すべては虚構。
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パブリックイメージの話
会社でジャニオタを特に隠さず生きているので、わりと同期相手にジャニーズの話をするのだけど、テレビに出てるグループはそこそこ分かるので、たまに乗り気なときは有意義な相槌を打ってもらえる。有意義すぎて聞き耳をたてられたこともある*1。
確かにジャニオタ的には一般のフラットな意見、それも男で彼らと同世代からの見え方とか面白いよねってことで書く。
パブリックイメージってわかってるつもりだけど、案外分かってなかった。そもそも結構認知されてるのに驚いた。(けどえびちゃんも分かる同期が特殊な気もする)
*1:半個室で隣に来たグループがジャニオタだったことがあって、破門の話をしていたのでそういえばと同期とジャニーズ話をしていたら隣のグループが全員黙って聞き耳を立ててきたと言うあまりにもシュールな事件
担降り記事が好きだ
悪趣味だと言われるかもしれないけれど、好きだ。対誰かということはなく、ものすごく深く長く愛していたという人の担降り記事が好きだ。DDや掛け持ちの方のも読むけれど、やはり個人に集中してかけられた熱量が違う分、所謂担当を一途に愛した人のものがいい。
熱量は才能を上回ると思っていて、でもやっぱり文面は整然としている方がわかりやすい。という希望を叶えてくれるのが、個人的には担降り記事だと思っている。
応援している時って自分がどれだけ冷静と感じていても、どこか盲目的で、見ないふりをしている部分がある。もしくは、見えていてもそれでいいと許容できるだけの柔軟性に富む。それは良し悪し如何ではなく、きっと人間自体がそういうものなんだろう。担降り記事はその熱量や盲目さを忘れられないうちに、まとめられてることが多いからストレートで分かりやすい。
100%の、或いはそれ以上の熱量を持って応援していたからこそ許容できていたことが、ふとしたことで途切れて、その後冷静にどう言ういきさつで、どう言う理由で、どう言う決定打で冷めた、ということが理路整然と書かれてある。その人への興味が失せてしまったのは残念なことなのかもしれないけれども、そうやって人の熱量にわかりやすく触れられるのが好きだ。
という建前のような前置きはさておき。
最近また自分の中で担降り記事探しブームが来ているのだが、やたらとブチ当たるのが、なぜか誰々という担当に降りましたとかいう訳のわからん記事である。なんでだ。担降り。「担当」を「降りる」から、担降りだ。老害なので言ってしまうが、少なくとも以前はそうだった。いつの間にか鞍替えまで含むようになっていたし、いつの間にか担当を降りる本来の意味が打ち消されて担当に降りるみたいな使われ方をされている。担当に降りるってなんだ。なんで自分が担当より高いところにいると思っている?頭が高い。
よくわからなくなってきたけど、担降りって結局どれが正解なんだって話がしたかった。
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